TOP リンク 交通案内 
神道大教の歩み 写真に見る大教院の幾星霜 歴代管長のモニュメント 皇典講究所から国学院へ 神道大教教歌 年譜
第六代管長
林 五助大人
第五代管長
神崎一作大人
第四代管長
長谷信成卿
第三代管長
本多康穣卿
第ニ代管長
稲葉正善卿
第一代管長
稲葉正邦卿
第十二代管長
木村剛正
第十一代管長
尾立聖兆
第十代管長
板倉信之助大人
第九代管長
大森徳春大人
第八代管長
品田聖平大人
第七代管長
森田作次大人
初代管長稲葉正邦卿は、旧淀藩主で、徳川幕府にあって、京都所司代、老中職、国内事務総長などを兼ねられ、家茂将軍の下で長洲征伐に従われたが、長洲軍の真意を知って幕府と長洲の間に立って非常に苦慮されたこともあり、またこれが原因となって維新後、時の政府が卿の真意を解せざると知るや、断然仕途を断ち、神道界に入り、斉民教化の道に立たれた。卿の敬神尊皇の至誠は実に偉大なもので、明治の神道史にその業蹟は光彩陸離たるものがあり、特に神道扶殖のため七千坪余の自分の土地を投入するなど常人の追随を許さなかったという。
神道本局のことを世間では稲葉神道ともいったと伝えられているが、それは卿の功績の偉大さを物語る証左でもあろう。 
第二代管長の稲葉正善卿は、旧館山の藩主で、初代管長の御親戚に当り、また第三代管長本多康穣卿も初代管長の御姻戚にあった。
本多卿は、旧膳所の藩主で、勤王の精神厚く、藩籍奉還のときも各藩中第一位で、皇国の真の存在には神道を第一に立てるべきだとお考えになっていた。本局の教務、祭典などには実に精勤であられたという。
第四代管長の長谷信成卿は大正三年の就任で、衣紋の大家、大正天皇の御即位の式典に参与された。
第五代管長の神崎一作大人は、神奈川県大山、阿夫利神社の祠職家に生れ、大山分局生徒寮に入り、権田直助翁に師事し、後哲学館、東洋大学及び國學院大学に学び明治二十九年神道本局に勤務、二代、三代、四代と三代の管長に仕へ、信仰、教学、教務ともに深い造詣者であった。
政府機関の宗教制度調査委員、神社制度調査委員なども歴任され、またその著述も多く「大祓新釈」をはじめ二十二部の著書を公けにされ、その業績は、神道大教のみならず、広く宗教界に不滅のものがあるといわれる。
第六代管長の林五助大人は、東京都葛西の西野家に生れ、幼時より深川天祖神社の社司林精一氏の養嗣子となられ、國學院大学を経て神道本局に入った。資性温厚、包擁力に富まれ、よく部下の面倒をみられた。日華事変が長期戦の様相を呈し、民心不安定な時代にあったが、英明な林管長は、本教百年の基礎をつくるため勇断をもって教名を「神道大教」とかえられ、神道大教の威俘を高めるためにつくされたという。
第七代管長の森田作次大人は、大山阿夫利神社社掌、増田耕三氏の二男として生れ、東京郁文中学、國學院大学を経て、森田家に入婿、大正十三年神道本局に勤む、歴代管長を補佐して 終始一貫、その興隆に尽力された。
森田管長の就任は、終戦直後の二十年十月で、この新管長の門出を祝うものは晴朗なる海路でなかった。しかし管長は、焼野原の本局境内の中から現在の神道大教を見事に復活されたわけで、その功績は筆絶につくせぬものがあるといえよう。
(東京ライフ社刊 東京ライフ「明治百年と神道大教」より転載)
shinto-taikyo.orgに掲載の記事・写真の無断転載を禁じます。
すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。

Copyright (C) 2012 Shinto Taikyo. All Rights Reserved.